渋沢栄一 道徳を持ち近代日本の経済発展に貢献した実業家

渋沢栄一は近代日本の経済発展に貢献した人物です。500を超える銀行や企業の設立に関わり、東京商工会議所、東京株式取引所などの経済団体も設立しました。

渋沢栄一は経営者に高い道徳心を求めました。自分の利益だけを追求するのではなく、人を騙すような不道徳な経営もいけない。事業で得た利益は社会に還元すべきと考えていました。

2024年から発行される1万円札の肖像画にもなり注目が集まっています。

渋沢栄一とはどのような人物だったのでしょうか。

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 渋沢 栄一とは

 

名 前:渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
幼 名:栄二郎
生 年:天保11年2月13日(1840年3月16日)
没 年:昭和6年(1931年)11月11日)
父:渋沢 市郎右衛門
母:渋沢 エイ
妻:渋沢 千代
子:

天保11年(1840年)。武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)の農民・渋沢市郎右衛門の長男として産まれました。

渋沢家は藍玉の製造、養蚕、米、麦、野菜の生産を行う豪農でした。原料の買い入れや販売も行うので商人の才能も求められました。

栄一も子供の頃から読み書き学問を習い、14歳で仕入れを任されるほどになりました。

一方で領主の横暴な取り立てに不満を持っていました。

7歳のころから尾高惇忠の私塾に通い漢籍(中国の古典)などを学問を学びました。

安政5年(1858年)。19歳のとき。惇忠の妹・尾高千代と結婚。名前を栄一郎に変えました。

文久元年(1861年)。江戸に出て儒学者の海保漁村の弟子になります。北辰一刀流の千葉栄次郎の道場にも入門しました。このころから尊皇攘夷に目覚め、志士たちと行動するようになります。

文久3年(1863年)。尾高惇忠とともに高崎城を乗っ取り武器を奪い、長州と協力して幕府を倒す計画をたてます。しかし惇忠の弟・長七郎の説得で中止しました。親族に影響がでないように勘当されたことにして京都に出ました。ところが禁門の変の直後だったので尊皇攘夷運動が一時的に難しくなってる時代。江戸にいるときに知り合った一橋家家臣・平岡円四郎に勧められて一橋慶喜に仕えることになりました。

慶喜が将軍になると幕臣になりました。

1867年。パリ万博に派遣される徳川昭武に同行しました。栄一は庶務・会計係として同行、2年近くヨーロッパを見てまわりました。栄一たちがヨーロッパで視察している間に大政奉還。新政府ができました。

慶応4年(1868年)帰国。静岡で隠居生活を送る慶喜と再会。「これからは自分の道を行きなさい」といわれ静岡で金融・商社機能を持つ「商法会書」と作りました。

明治2年(1869年)。大隈重信に説得され大蔵省に入ります。そこで栄一が取り組んだのが「国立銀行」の設立でした。国立といっても国が経営するのではなく国の法律でできた銀行のことです。

渋沢は三井組と小野組に働きかけ第一国立銀行(みずほ銀行)の設立を指導しました。大蔵省退官後は第一国立銀行の頭取になり、その後は地方銀行の設立を指導します。

その後、渋沢は多くの会社の設立に関わります。栄一が発起人や社長・会長として多くの企業の設立に関わりました。

渋沢が関わった企業は東京瓦斯、日本煉瓦製造、東京製綱、京都織物、東京人造肥料(日産化学)、東京石川島造船所(IHI)、帝国ホテル、王子製紙(王子製紙・日本製紙)、磐城炭鉱(常磐興産)、広島水力電気、札幌麦酒(サッポロホールディングス)、澁澤倉庫などがあります。

他にも設立を援助した会社には東京海上火災保険(東京海上日動火災保険)、田園都市(東京急行電鉄)、秩父セメント(太平洋セメント)、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(キリンホールディングス)、東洋紡績(東洋紡)、大日本製糖、明治製糖などがあります。

渋沢が関わった会社は500を超えるといいます。

企業の設立だけでなく経済界のまとめ役として活躍、幅広い人脈を生かして東京商工会議所、東京株式取引所、東京手形交換所などを設立しました。

他にも日本赤十字社の設立に関わるなど社会貢献活動もおこないました。 商法講習所(一橋大学)、大倉商業学校(東京経済大学)などの学校の設立にも協力しています。

渋沢は民間の立場から数々の会社や組織の設立に協力しました。

昭和6年(1931年) 死去。享年92。

経営と道徳心

渋沢は合理的な経営者でしたが、その一方で経営者は道徳心も必要と考えていました。

大正5年(1916年)。「論語と算盤」を書き「道徳経済合一説」という考え方を発表しました。これは「利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする、富は皆で共有するべき」という考え方です。経営者はただ自分の利益だけを求めるのではなく倫理観も必要だと主張しました。事業で得た利益は福祉や教育にも還元すべきだと考えていました。

また、人を騙して儲けるのは真の商才ではないと言っています。

現在は拝金主義的な傾向が強まり、自分の利益だけを求める経営者が増えています。渋沢栄一郎の目指した経営理念が注目されるべき時代に来ているのかもしれません。

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