朝ドラ「べっぴんさん」ではヒロイン坂東すみれが仲間とベーショップアサヤを始めます。これがキアリスのもとになるんですね。
これは坂野惇子が仲間とベビーショップモトヤを初めて、のちにファミリアになった話をモデルとしています。
でも、ドラマはやっぱりドラマ。現実とはかなり脚色されています。
どのように違うのか比べてみましょう。
「べっぴんさん」ベビーショップアサヤ開店まで
昭和20年12月
神戸にある坂東家の敷地に家を建て娘のさくら・女中頭の喜世と共に暮らします。
昭和21年2月
預金封鎖の影響で生活に困窮。
- 尾上潔・ゆりに相談
大阪梅田の野上潔・ゆりのもとを訪れて品物を売ってほしいと相談。潔から「自分の手で仕事し、自分の足で生きるんや」といわれます。
- 靴店に靴を売りに行く
神戸のアサヤ靴店を訪れ、靴を売ってほしいと頼み込みます。
麻田はすみれが作った小物を麻田の店で売ってどうかと勧めます。
- 開店した手芸店は売れない
すみれは服をばらして小物を作り、店で売ります。でもほとんど売れません。
- 外国人向けのおしめを作ったが売れない
ジョンからおしめが欲しいといわれ、すみれはおしめを作ります。
でもジョンの妻・エイミーに「こんなのおしめじゃはない」といわれます。
- 手芸教室を開く
すみれの店は相変わらず売れません。
すみれは人々にお金がないから物が買えないのだと考え。授業料を物にして商店街の主婦相手に手芸教室を開きます。
授業料として受け取ったのは辞書や木彫りの熊など生活の足しにならない物ばかりでした。
- 外国人向けおしめ作り
すみれは小野明子を探して外国のおしめのことを聞きます。
- 野上潔が生地を調達
潔はおしめの材料の調達を引き受けます。
岩佐栄輔(モデルは石津謙介)が生地を届けに来ます。
- 仲間を誘う
小澤良子と再会します。
村田君江と再会します。
すみれは子供服を作って売ろうと良子と君江を誘います。
良子と君江は賛成しません。君江の義母・琴子にも反対されます。
- おしめを届ける
すみれは栄輔の持ってきた生地を使い、明美に教えてもらった通りにおしめを作ります。
おしめをエイミーに届けるとその出来に満足したエイミーが子供用のドレスが欲しいといいます。
- 子供用ドレス作り
すみれは良子、君江を誘ってドレスを作り、エイミーに感謝されます。
- 仲間がそろう
良子・君江が一緒に店をやりたいといいます。
琴子が反対しますが、君江の夫が帰るまでという期限付きで認めます。
明美も仲間に加わります。
昭和21年3月3日。
ベビーショップあさや開店。
モデルとなったベビーショップモトヤ開店まで
昭和21年春。
坂野惇子は、預金封鎖と資産税に困って父・佐々木八十八(坂東五十八のモデル)のもとを訪れます。たまたま来ていた尾上清(野上潔)は「これからは女性も自分で生きていくべき」といいました。
昭和21年4月。
坂野通夫(坂東紀夫のモデル)が帰国します。
田村枝津子(小澤良子のモデル)と再開。
昭和21年5月。
坂野惇子は疎開先の岡山から神戸に戻り通夫、娘の光子、お手伝いの宮本さかえとともに暮らし始めます。
坂野通夫は大阪商船(商船三井)で働きます。
昭和21年9月
父・八十八が軽井沢の別荘を売却することになり、惇子は預けてあった荷物を引き取ります。その中に布地や裁縫道具がありました。
- 子供服作り
惇子は引き取った道具と材料、自分自身の洋裁の技術を生かして近所の子供達のために服を作ります。でも惇子をもらう勇気がありません。お礼はいつも物でした。
昭和22年2月。
通夫が尾上清の勧めで東京編織(後のレナウン工業)に入社。
昭和22年2月ごろ?
- 手芸教室始める
よく家に来ていた村井ミヨ子(村田君江)の提案で自宅で手芸教室を始めます。
またしても惇子は現金を受け取る勇気がありません。謝礼は物でした。
昭和23年春以降。
- 靴店に靴を売りに行く
惇子は神戸にある元田靴店を訪れます。
元田は惇子のために作ったハイヒールを買い取ることはできないと言います。
写真ケースを見た元田が惇子の作った手芸品を元田の店で売ってどうかと勧めます。
- 田村枝津子に相談
翌日。田村枝津子の家を訪れ手芸店を開くか相談します。枝津子は賛成します。
- 田村光子に相談
枝津子の義姉・光子に相談します。光子も賛成します。
- 夫の説得
惇子、光子、枝津子はそれぞれの夫に相談。
3人の夫は拍子抜けするほどすんなり賛成しました。
坂野通夫は勝手に空き店舗を見つけてきました。
しかしモトヤ靴店で始めることになってたので通夫の探した店は却下されました。
- 夫たちの談合
坂野通夫、田村光子の夫・田村陽、田村枝津子の夫・田村寛次郎(小澤勝二のモデル)は集まって妻たちの仕事にどのように協力していくか話し合いました。
- 父に相談
惇子は父・佐々木八十八(坂東五十八のモデル)に相談しました。
商標を大事にすること。
他ではない独自の商品を売るべきとアドバイスを受けます。
- 夫の提案
通夫は惇子に「手芸店ではなくせっかく覚えた子育ての知識を生かして子供のための服を作ってはどうか」と提案しました。
戦前、惇子はベビーナースの大ヶ瀬久子(小野明美のモデル?)から子育ての知識を教わっていました。田村枝津子もベビーナースから子育てを教えてもらっていました。
- 村井ミヨ子の参加。
人手が足りないと思った敦子はミヨ子も誘いました。ミヨ子の手芸の技術も高かったからです。ミヨ子は賛成しました。夫・村井完一(村田昭一のモデル)は最初は賛成しましたがミヨ子の主治医に止められて反対。ミヨ子は病弱だったのです。でもミヨ子の父・中井栄三郎が完一を説得。完一はミヨ子の仕事を認めます。
- 尾上清の材料調達
惇子たちが店を出すことを知った清は進駐軍から払い下げた枕カバーの布を惇子たちに提供しました。製品つくりの材料にしてもらうためです。
昭和23年12月4日。
ベビーショップモトヤ開店。
ベビーショップの開店 ドラマと現実はどう違う?
開店時期が早すぎる
ドラマではすみれたちは昭和21年3月で開店。終戦からわずか7か月という超スピード開店です。
現実にベビーショップモトヤがオープンしたのは昭和23年12月。終戦から3年3か月かかってます。
現実には昭和21年2月17日に新円切り替えとインフレ抑制のための預金封鎖が始まりました。
ドラマでは預金封鎖の直後から商売の話につながってます。
坂野家は預金封鎖の中で苦しい生活を耐えながら、惇子はすこしずつ商売に挑戦しています。通夫が戻って働いていたのでなんとか生きていくことはできました。
惇子の店がオープンしたのは日本が落ち着きだしたといわれる昭和23年の暮れです。
昭和22年ごろまではまだ闇市の時代だったといわれます。
商売の経験のない主婦が店を出すのは非現実的ですが、ドラマのテンポを上げるために開店時期を早めたのかもしれませんね。
創業メンバーの構成が違う
創業メンバーはどちらも4人です。
その顔ぶれがちょっと違ってます。
現実の創業メンバー
坂野惇子
田村枝津子・惇子の女学校時代の友人
村井ミヨ子・惇子の近所に住み、戦前から仲のいい主婦仲間
田村光子・枝津子の義姉
ドラマの創業メンバー
坂東すみれ(モデルは坂野惇子)
小澤良子・すみれの女学校時代の友人(モデルは田村枝津子)
村田君江・すみれの女学校時代の友人(モデルは村井ミヨ子)
小野明美・看護婦、もと坂東家使用人の娘(オリジナル・大ヶ瀬久子の要素が入ってる)
ドラマではヒロイン含めた3人を同級生にして物語をわかりやすくしています。そのかわり小野明美というヒロインと対立しながらも仲間になる役割を加えています。
モデルになった坂野惇子と田村枝津子は西洋の子育てを学んでいました。開店時にはベビーナースがいなくても赤ちゃんのための物を作ることができました。
ファミリア創業4人はただのお金持ちの主婦じゃなくて洋裁、手芸はプロ級、西洋の子育ての知識もある凄い女性達が集まっていたんです。だから成功したんですね。
お店の規模が大きくなると専門のスタッフを雇います。それが小野明美のモデルになった大ヶ瀬久子です。
田村光子はベビーショップモトヤやファミリアの経営にはかなり重要な働きをした人です。脚本家の渡辺千穂は「企業の成長物語にはしない」と言ってますので思い切って削除したんでしょうね。
協力してくれる人たちが違う
靴屋の店先を貸してもらうことになったいきさつは同じです。
ドラマの坂東すみれたち
すみれたちは開店までほぼ4人の力で店を出しています。
途中で協力したのは野上潔と岩佐栄輔が生地を届けたことくらい。
ランディ大佐とエイミーに頼まれておむつや子供用ドレスを作ったことがベビー用品を作るきっかけになりました。
坂野惇子たち
惇子たちは様々な人たちの協力を得ています。
父・佐々木八十八には商売の心構え。
尾上清は生地の調達。
坂野通夫は店で扱う商品についてアドバイスしています。
商品つくりには近所や知り合いの主婦に協力してもらっています。
ドラマとして面白くしたのが「べっぴんさん」
現実には様々な人の協力もあって商売を成功させることができました。
でも、朝ドラではヒロインたちが活躍しないと面白くありませんよね。
ドラマでは夫が協力してくれたのでは面白みがないと考えたのでしょう(むしろ反対する側に回った方が視聴者には受けるという狙いがあるようです)。
そのかわり、朝ドラ恒例のヒロインに心をよせるイケメンのお兄さんを登場させて視聴者のドキドキ感を演出してるようです。
現実をモデルにしながらも、朝ドラならではの演出がされてるのが「べっぴんさん」なんですね。
コメント