すみれの夫・坂東紀夫は戦争に行ったままなかなか帰ってきませんね。他の人たちは次々と帰ってきてるのに、どうして戻らないんでしょうか?
紀夫は戦死したのでしょうか?
この記事では紀夫がいつ帰ってくるのか予想してみます。ネタバレ要素が入ってるので、先を知りたくない人は注意してくださいね。
坂東紀夫は戦死したの?
坂東紀夫のモデルとなった坂野通夫はジャカルタで終戦を向かえました。終戦のときには生きていたんですね。
ところが日本は負けたものですから連合軍につかまってしまいます。しかも現地では住民たちが独立を求めて暴動を起こして危険な状態。
通夫は海軍の委託で船で物資を輸送する任務についていました。ジャカルタの港は戦争で破壊されたため、船がなかなか出せませんでした。船がイギリス軍に没収されてしまいます。乗組員も一緒に捕虜になってしまいました。このとき通夫が乗っていた船が「すみれ丸」。ドラマのヒロインの元ネタになったんじゃないでしょうか。
ところが通夫は英語と現地の言葉が少し話すことができました。イギリス軍に通訳として雇われました。士官服を与えられてそれなりに待遇はよかったようです。でもその代わり連合軍の兵隊が進駐するのを手伝ったり、日本軍の捕虜になっていたオランダ人を返すのに協力することになりました。
船で連合軍の人を運ぶ仕事も、ようやくめどがつきました。
このころでしょうか。通夫は日本にいる妻・坂野惇子に対してハガキを送ります。
「すみれの咲くころ帰れそうだ」
まるでドラマのような展開です。でも実際にこういうことがあったんですね。
ドラマでは”さくら”の花の咲くころに変更されてます。すでにヒロインの名前にすみれを使ってしまったからでしょうか。現代人にとっても咲いてる時期のわかりやすい「桜」に変更したのかもしれませんね。
昭和20年10月(1945年)。紀夫たちはようやく日本へ向けてジャカルタを出港。シンガポールの離島で日本兵を乗せて日本を目指します。
そして、昭和21年4月(1946年)。通夫たちは日本に帰ってきました。船は呉に行ったあと神戸に入港。通夫はようやく家族のもとに戻ることができました。
通夫の帰国は実は以外に早かった
ドラマではかなり待たされてる感じがしますが、実はモデルとなった坂野通夫の帰国は遅いとはいえないんです。
1946年末までには500万人が引き揚げてきたといわれます。アメリカ占領地にいた人たちは1946年末にはかなりの人たちが引き上げることができたようですが、ソ連占領下の中国、朝鮮、ソ連にいた人たちは引き揚げるのがかなり難しかったようです。
坂野通夫の場合。
終戦が1945年8月15日。
帰国が1946年4月。
終戦から8か月で戻ってきています。現代人の感覚だと長いように思うかもしれません。でも、終戦直後の混乱の時代にしては早い方なんですよ。
日本では1947年ごろまでヤミ市の時代が続き、そのあとに坂野惇子たちがベビーショップを開店してるんですね。
ドラマの紀夫もモデルになった通夫とほぼ同じ1946年の桜の咲くころに戻ってくるようですよ。
ドラマでは紀夫がいない間にすみれたちが早々とお店をオープンしてキアリスの開店直前までこぎつけてしまいます。実際よりも2年も早くお店を作ってしまってるので、夫が戻ってくるのが遅いと感じてしまうんですね。ドラマの展開が早すぎるだけなのでもうしばらく待ちましょうね。
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