豊臣家

明石 全登大坂の陣で行方不明になったキリシタン武将

明石 全登 は大坂の陣で活躍した武将です。 大坂方に参戦した浪人の中では大坂5人衆といわれるほど有力な武将でした。 大坂の陣では少ない兵ながら健闘しました。 大坂の陣のあと生死は不明で様々な説があります。 自身も熱心なキリシタンでした。 明...
その他

長宗我部盛親・大坂の陣に土佐長宗我部家の再興を賭ける

長宗我部盛親は土佐の戦国大名。 関ケ原の戦いで敗れたあと、大坂の陣にも参戦しました。 盛親が大坂に来た目的はただひとつ。 土佐で長宗我部家を再興することです。 若いころから荒々しく、家臣にも厳しかった盛親。 大坂の陣で敗北しても処刑される寸...
徳川家

千姫・豊臣家に嫁いだ徳川将軍の娘

千姫は豊臣秀頼の正室。 徳川と豊臣の懸け橋となることを期待されながらも、豊臣家の滅亡に立ち会う悲劇の女性として知られています。 その後、桑名の本田忠刻と再婚。後に姫路に移りますが二人目の夫とも死別。江戸に移ります。 歴史上は悲劇的な印象の強...
7 近現代

「べっぴんさん」坂東すみれ(芳根京子)のモデル坂野惇子の生涯

坂野惇子(ばんの あつこ)は子供服・ベビー用品メーカー・ファミリアの創始者のひとりです。2016年後期朝ドラ「べっぴんさん」のヒロイン。坂東すみれ(芳根 京子)のモデルにもなりました。  ・NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」公式サイトはこ...
豊臣家

木村重成・大坂の陣で散った美しき若武者

木村重成は大坂の陣で活躍した武将です。 幼いころから豊臣秀頼に仕え、秀頼の信頼も厚かったといいます。武芸や礼儀作法に長けた美しい若武者だったといいます。 大坂の陣では若いながらも活躍しました。 最後は夏の陣で幕府軍と戦い討ち死にしてしまいま...
6. 江戸時代

村松 三太夫 高直・高齢の父を追った赤穂義士

村松 三太夫は吉良邸に討ち入った赤穂四十七士の一人です。 生きて母に孝行しろと言われながらも、父を追いかけて赤穂に行き、討ち入りのメンバーに加わります。 討ち入りでは高齢だった父の分まで働くと意気込み、裏門から一番に突入し、屋敷内で奮戦した...
6. 江戸時代

礒貝十郎左衛門正久・内匠頭の側近は美青年の赤穂浪士

礒貝十郎左衛門は吉良邸に討ち入った赤穂四十七士の一人です。美青年だったという話が伝わっており、浅野内匠頭のお気に入りの小姓でした。 匠頭切腹後、すぐに仇討ちを主張した一人です。赤穂浪士のなかでも最も過激な報復を主張するグループの一員で、独自...
真田家

真田 大助 幸昌・大阪城で果てた真田信繁の息子

真田信繁の息子で唯一、最後まで信繁と行動を共にした大助。 正式な名は、真田 幸昌。大助は通称です。大坂の陣では若くして亡くなりました。16歳とも13歳ともいわれます。 講談では真田幸村の息子・真田大助として強烈な印象を残し様々な逸話を残して...
真田家

真田昌幸・信繁親子に付き従って九度山に来た家臣達

関ケ原の戦いのあと、真田昌幸・信繁親子は高野山に追放となります。 そのとき付き従った家臣は16人でした。 信繁の家族も付き従ったといいます。 16人いた家臣たちは昌幸の死後13人が上田に戻ってしまいます。彼らは裏切ったのでしょうか?それとも...
DVD・ブルーレイ・映画

真田丸 第弐集 ブルーレイ・DVD 10月発売  

2015年NHK大河ドラマ真田丸。 ブルーレイ”真田丸 完全版 第壱集” が発売されます。 総集編ではなくて、一話ずつが収められた完全版です。 第弐集には13話「決戦」から24話「滅亡」までが収録されます。 第一次上田合戦から、小田原北条氏...
井伊家

井伊直親(亀之丞)・徳川四天王直政の父は親子二代で悲運の死

井伊直親は井伊直政の父。井伊家の分家でしたが、井伊宗家に男児がいなかったため、跡を継ぐことが決められました。早くに親を殺害され逃亡生活をするなど苦労の多い人物です。 井伊家を継いで直政を設けたものの自身も謀反の疑いで殺害されてしまいました。...
徳川家

月光院(お喜世の方)・7代将軍生母

月光院といえば、大奥で天英院のライバルだった女性です。 江戸幕府6第将軍・徳川家宣の側室。町民から家宣の屋敷に仕えやがて大奥に入り第7代将軍・徳川家継の生母となります。 数ある大奥の逸話の中でも天英院派対月光院派の対立は特に有名なんじゃない...
ドラマ情報

おんな城主直虎出演者・今川家の人々

おんな城主直虎出演者・今川家・松平家の人々 2017年NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」主な出演者が決定しました。 井伊家と対立する今川家や今川家の家臣となっていた松平家(徳川)の人々を紹介します。 今川義元(いまがわ よしもと) 春風亭昇...
歴史の雑学

天皇・上皇・法王ってどう違うの?意外と知らない呼び方

天皇陛下の生前譲位の話がもちあがりました。 そこで今注目されているのが「上皇」という呼び方。 そもそも、天皇と上皇ってどう違うんでしょうか? 歴史では法皇って人もいたけど。上皇と何が違うの? ちょっとややこしい天皇の呼び方についてお話ししま...
真田家

青柳清庵と三井仁左衛門・真田信繁に最後まで従った武将達

真田昌幸の死後、一周忌を過ぎると13人の家臣が上田に戻りました。 信繁のもとに残ったのは3人だったといいます。 高野山蓮華定院書上によると残った家臣は以下の3人です。 青柳千弥 三井豊前 高梨采女 高梨内記については昌幸・信繁に従った重臣で...
戦国の女性

小野お通・真田信之とかかわりの深い謎多き才女

小野お通は江戸時代初期の女性。 文芸に優れた才女ですが、真田信之とのかかわりで注目されることも多い人です。 信之の愛人だったとか、側室だったとか言われることもあります。 でも、名前が知られているわりに詳しいことがわかっていない謎の多い女性で...
豊臣家

大野治長・最後まで豊臣家に忠義を尽くし大阪城に散る

大坂夏の陣で豊臣方を指揮した武将。大野治長。 淀殿と仲がいいとか、治長のせいで大坂の陣に負けたとかさんざん言われてますが、そんなに無能な武将だったのでしょうか。あげくのはてには秀頼の父親説までとびだして。ゴシップネタにされてる治長。 せっか...
豊臣家

毛利勝永・幸村の突撃を演出した大坂夏の陣影の主役

毛利勝永(もうり かつなが)は大阪の陣で最後まで戦った武将。 真田幸村(信繁)や後藤又兵衛と比べると知名度は低いかもしれません。 江戸時代から太平洋戦争が終わるまではもっと有名だったようですよ。 でも現代の作家はなぜかあまり取り上げないんで...
真田家

真田信繁 伝説となった大坂の陣

高野山九度山村で蟄居している真田信繁のもとに大坂からの使者が来ました。 豊臣秀頼の使者だといいます。徳川家康と戦う決心をした豊臣秀頼のため、参戦を求めているのでした。 九度山で朽ち果てると思っていた信繁にとっては、絶好のチャンスだったでしょ...
真田家

真田昌幸4・第二次上田合戦から最後まで

慶長3年8月18日(1598年)豊臣秀吉が死去が真田家の運命を分けます。 慶長4年(1599年)、豊臣秀頼が大坂城に入り、徳川家康が伏見の屋敷に入りました。 真田昌幸・信繁親子は伏見に残り家康に従っていました。 信幸は上田城に残っています。...
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