大河ドラマ「光る君へ」紫式部(まひろ)年表

光る君へ

大河ドラマ「光る君へ」は平安時代を舞台にした紫式部の物語。

紫式部の生涯は不明な部分が多くドラマオリジナルの部分も多いです。
でも平安時代は馴染みがないのでよくわからないという人もいると思います。

今わかっている情報をもとにドラマの流れと紫式部の生涯を年表にしました。

年表を見ながらドラマをみると、わかりやすくなると思います。

ここに書いてあるのはドラマの流れなので史実とは違っている部分もあります。

 

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まひろ(紫式部)の情報

名前:まひろ

970年生まれ。
史実では生年不明。

父:藤原為時(ふじわらの ためとき)
下級貴族

母:ちはや

弟:太郎/藤原惟規(ふじわらの のぶのり)

史実では紫式部と紫式部の母の本名は不明なのでドラマオリジナルの名前。

史実では紫式部には姉がいますがドラマでは省略。

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子供時代

まひろを演じるのは落井実結子。

円融天皇の時代

977年(貞元2年)。

まひろ(8)、三郎(藤原道長)と街で出会う。

まひろの父・為時が東宮(皇太子)・師貞(もろさだ)親王の漢文の指南係になる。
まひろの母ちやは死亡。
(第1話)

 

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青年時代

まひろを演じるのは吉高由里子

983年(永観元年)。

まひろ(15)。裳着(もぎ)の儀(成人式)

藤原道長 従五位下・右兵衛権佐

円融天皇が藤原遵子(のぶこ)を中宮(皇后)にする。
(第2話)

藤原詮子(あきこ)・懐仁(やすひと)親王とともに東三条の藤原兼家の屋敷に引きこもる。

まひろ。左大臣 源誠信の屋敷を訪問。源倫子・赤染衛門たちと会う。
(第3話)

 

984年(永観2年)

円融天皇が退位。師貞親王が即位(花山天皇)。
(第4話)

 

花山天皇の時代

984年(永観2年)

まひろの父・藤原為時は官職を得る。

まひろ・五節の舞に出席。母の仇の正体を知る。
(第4話)

藤原道隆の屋敷で漢詩の会。
まひろは清原元輔の娘・ききょう(清少納言)と会う。
(第6話)

花山天皇が寵愛していた藤原忯子が急死。
(第7話)

 

986年(寛和2年)

「寛和の変」
兼家たちが花山天皇を出家・退位させる。
(第10話)

 

一条天皇の時代

986年(寛和2年)

まひろの父・藤原為時が失業。
一条天皇が即位。
(第11話)

まひろ、さわ(生涯の親友)と出会う。

藤原兼家、源倫子との結婚が決定。
(第12話)

990年(永祚2年)

一条天皇が元服。
藤原道長、源明子と結婚。
(第13話)

藤原兼家が出家。
道隆が後を継ぐ。
兼家が死亡。
(第14話)

道隆が娘の定子を一条天皇の中宮にする。
ききょう、定子に仕える女房になり「清少納言」の名を与えられる。
まひろとさわは石山寺に行き「蜻蛉日記」の作者・寧子に会う。
(第15話)

 

995年(長徳元年)

藤原道隆が死亡。
(第17話)

藤原道兼が関白になるものの、7日後に道兼が死亡。
藤原道長が関白になる。
(第18話)

まひろの父・為時が淡路守を希望。従五位に昇進。

「長徳の変」が始まる。
(第19話)

 

以下は史実のできごと。

996年(長徳2年)

まひろの父・為時が越後守になる。
まひろも父とともに越後に向かう。

 

996年(長徳2年)

紫式部が父より先に越後から京に戻る。

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藤原宣孝との結婚生活

997年(長徳3年)

紫式部が藤原宣孝と結婚。

 

999年(長保元年)

娘の賢子が誕生。

 

1000年(長保2年)

道長の娘・彰子が中宮になる。

 

1001年(長保3年)

紫式部の夫・宣孝が死亡。

このころから「源氏物語」を書き始める。

 

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宮中で働く女御時代

まひろは藤式部、紫式部とよばれます。

1006年(寛弘3年)

このころから紫式部が中宮彰子に仕える。

 

1008年(寛弘5年)

「紫式部日記」を書き始める。

中宮彰子が敦成親王を出産。

中宮彰子の命令で「源氏物語」の製本が行われる。
(このとき完成していたのは第33巻・藤裏葉までといわれます)

 

1010年(寛弘7年)

このころ「宇治十帖」を書き始める?

 

1011年(寛弘8年)

弟・藤原惟規が死亡。

一条天皇が敦成親王(三条天皇)に譲位。
一条天皇が崩御。

 

三条天皇の時代

1012年(長和元年)

皇太后彰子に仕え。藤原実資との取次をする。

 

1013年(長和2年)

歌集「紫式部集」を編纂。

 

1014年(長和3年)

父・為時が任期を残して越後から帰京。

1016年(長和5年)

父・為時が出家。

 

死亡時期不明。
1014年(長和3年)、1016(長和5年)、1017年(寛仁元年)以降、1019年(寛仁3年)以降、1031年(長和元年)説もあり。

 

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