6 戦国・江戸時代

明智家

藤田伝吾(行政)明智五宿老の一人は山崎の戦いで果てた忠臣

藤田 行政は明智光秀に仕えた重臣です。 通称は伝吾、伝五、伝五郎。 明智五宿老の一人と言われます。 明智光秀が本能寺の変をおこしたときに、明智光満、斎藤利三とともに最初に謀反の決意を打ち明けられた人物の一人といわれます。 藤田行政(伝吾)に...
明智家

明智光安: 光秀を後見した叔父は明智城とともに運命を共にした

明智光安は明智光満の叔父(父の弟)です。 明智城を守っていましたが、斎藤義龍の軍に攻められて自害。そのとき光秀を逃したと言われます。 明智光安はとはどんな人だったのでしょうか。 明智光安とは 名 前:明智光安(あけち みつやす) 通称・官名...
明智家

妻木煕子:明智光秀との結婚秘話と最期の別れ

妻木煕子(ひろこ)は明智光秀の正室で細川ガラシャの母です。お牧の方、伏屋姫ともいわれます。光秀にとても愛された仲のよい夫婦でした。結婚話や亡くなる前のいくつかの逸話が伝わっています。 妻木煕子とはどんな人だったのか紹介します。 妻木煕子とは...
6. 江戸時代

有馬新七と尊王攘夷派が命を落とした寺田屋騒動

有馬新七は薩摩でも強硬な尊皇攘夷派でした。 西郷隆盛とも交流がありましたが、彼らとは意見があわず倒幕のため京都で決起しようとします。 有馬たちの行き過ぎた行動は、島津久光の怒りをかいます。有馬は久光の送った使者と斬りあいになって命を落としま...
6. 江戸時代

本寿院、13代将軍徳川家定の生母とは

本寿院は江戸幕府13代将軍・徳川家定の生母です。 本寿院は12代将軍徳川家慶の側室でした。 将軍家定の生母として大奥の実権を握っていた本寿院。しかし家定の死後は大御台所の役目を天璋院にゆずり、のんびりとした余生をおくりました。 本寿院とはど...
6. 江戸時代

幾島:天璋院篤姫に仕え大奥で派閥工作をすすめた老女

幾島(いくしま)は篤姫に仕えた御年寄格の女性です。 摂関家の近衛家に輿入れした郁姫に仕えたこともあるので、江戸や公家の作法に通じていました。 幾島自身も頭の良い声の大きな女性だったと言われます。大奥の侍女からは「ごぶごぶ」と言われ恐れられた...
6. 江戸時代

篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題

天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。 外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多い...
6. 江戸時代

西郷隆盛は下級武士ではなかった・薩摩藩の武士制度のしくみ

西郷隆盛はよく下級武士だったといわれます。大河ドラマ「西郷どん」でも、貧しい生活をしているように描かれます。 事実、西郷家は貧しかったようです。 でも、薩摩全体の士分(藩に家臣と認められた人・いわゆる武士)の中では決して下級とはいえなかった...
6. 江戸時代

島津久光・薩摩の国父は倒幕派から新政府の抵抗勢力になった

島津久光は幕末の薩摩を動かし倒幕に導いた張本人でありながらあまり目立たない存在です。 当初は斉彬の公武合体路線を進めた久光。しかし徳川慶喜とはともに政治を出来ないと判断し、倒幕に変更します。 一説には新しい将軍の座をねらっていたとも噂されま...
6. 江戸時代

西郷吉二郎(さいごう きちじろう)・隆盛にかわって西郷家を守り続けた弟

西郷吉二郎(さいごう きちじろう)は、西郷隆盛(吉之助)の弟。西郷家の次男です。 家を留守にしがちだった西郷(吉之助)隆盛に変わって、西郷家を支え実質的な大黒柱となりました。 隆盛が藩や新政府の仕事に打ち込むことができたのも、吉二郎が家を守...
6. 江戸時代

調所広郷(ずしょ ひろさと)豪腕で薩摩藩の財政を立て直し維新の基礎を作る

調所広郷(ずしょ ひろさと)は島津斉興の時代に薩摩藩の財政を立て直した人物。斉興以前の薩摩藩は浪費が多く借金が増える一方でした。それを借金の返済を減らし、膨大な蓄えができるほどに改革しました。 調所広郷のやり方には強引な部分も多く評判の悪い...
6. 江戸時代

赤山靱負(あかやま ゆきえ)・島津斉彬を藩主にしようとしたが自害に追い込まれる

赤山靱負(あかやま ゆきえ)は島津家の分家筋にあたる人物。分家とはいいっても、本家の継ぎに格式の高い日置家の出身です。 西郷隆盛の父・吉兵衛が日置家と赤山家の御用人をしていた関係で、隆盛とも縁の深い人物でした。 ところが、赤山靱負はお家粗動...
6. 江戸時代

島津斉興(しまづ なりおき)斉彬との確執はどうして起きた?

島津斉興は島津家第27代当主で薩摩藩代10代藩主。 祖父・重豪のせいで、藩主になるのが遅かった斉興。重豪の影響を強く受けている息子・斉彬とも確執があり。なかなか藩主の座を譲ろうとしませんでした。 お由羅騒動と言われるお家騒動も起き、あまりい...
6. 江戸時代

お由羅(ゆら)は我が子かわいさにお家騒動を起こした

お由羅は薩摩藩主・島津斉興の側室。遊羅とも書きます。 島津斉興の寵愛を受け、島津久光をうみました。 自分の産んだ久光を藩主にしようと、島津斉彬らと対立。お由羅騒動(高崎崩れ)といわれるお家騒動の原因になります。このお家騒動は西郷隆盛や大久保...
6. 江戸時代

島津斉彬(しまづ なりあきら)薩摩の近代を進め明治維新の基礎を作った

島津斉彬(しまづ なりあきら)は薩摩藩第11代の藩主。松平慶永(春獄)・伊達宗城・山内豊信(容堂)とともに幕末の四賢候と呼ばれました。その中でも特に優れた人物だと言われました。 父・島津斉興がなかなか隠居しなかったため、遅くして藩主になりま...
6. 江戸時代

大久保 次右衛門 利世(おおくぼ じえもん としよ)は大久保利通の父

大久保 次右衛門は大久保利通(一蔵)の父。 西郷家とは古くからのつきあいがありました。位は西郷家と同じで高い身分ではありませんでしたが、島に代官として赴任したり、琉球との窓口を勤めたりと外の情報に触れる機会の多かった人です。 大久保 次右衛...
6. 江戸時代

西郷龍右衛門ときみ、西郷隆盛の祖父母とは

大河ドラマ「西郷どん」で大村崑さん演じる西郷龍右衛門は吉之助(西郷隆盛)のおじいさん。孫の吉之助に期待をかける温厚なおじいさん。 水野くみさん演じる西郷きみは、吉之助のおばあさん。吉之助を西郷家の先祖「無敵斎様」と信じています。 西郷龍右衛...
6. 江戸時代

西郷満佐子(さいごう まさこ)西郷隆盛の母

西郷隆盛の母は西郷満佐子(さいごう まさこ)。 大河ドラマ「西郷どん」では西郷満佐(さいごう まさ)という名前で登場。松坂慶子さんが演じる肝っ玉母さんとして描かれます。 代々・薩摩藩士の家に生まれ育った満佐子は、同じ薩摩の下級武士の西郷吉兵...
6. 江戸時代

岩山糸(いわやま いと)・西郷隆盛の妻とはどのような人?

西郷隆盛の妻として有名なのは糸子(いとこ)。 ドラマ「西郷どん」では岩山糸(いと)の名前で登場。 実在の糸子は上野の西郷隆盛の銅像ができたとき除幕式に招待され「こげなお人ではなか」(つまり似ていない)と語ったことで有名です。 ドラマでは「好...
6. 江戸時代

西郷吉兵衛隆盛(さいごう きちべえたかもり)西郷隆盛の父も隆盛だった

西郷隆盛の父は西郷吉兵衛隆盛。 下級武士だったといわれます。 実際の吉兵衛は、経理に詳しい反面、土地購入で失敗したりと。すごいのかダメなのかよくわからない人物。 大河ドラマ「西郷どん」でもダメ親父として設定されています。 しかも吉兵衛の死後...
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